アリスを灼く雪の白

冷たいお寿司



 風くんと一緒にアダルトビデオを見ている。
 別に風くんに性行為をねだったわけではないし、風くんにもそのつもりはないだろう。仮眠をとるため、また、面白半分で入った安物のラブホテルで、やることもなくお互い暇だっただけだ。
「フウくん、なんともないの」
「身体ですか」
「そう」
「あまり興味がありません」
「そう、わたしもなんだよ。もっと可愛くて演技の上手な女優さんがいいな」
「チャンネルを変えますか」
「いや、そもそも今日は気分じゃない、そのほうがましってだけ。それよりおなかすいたな」
「出ますか」
「出たらこのホテル、戻って来られないでしょう、ボーシさんの弟さんはお料理が上手だったよね。また食べたいな」
「そうですね」
「フウくんは何を食べたい?」
「昔食べて、忘れられないアイスクリームがあるんです」
「ほう」
 風くんのほうを見てみた。虹彩にはブルーライトの肌色が多く反射していた。
「コンビニエンスストアのアイスクリームでした」
「詳しく聞かせて」
「ラムレーズンのクッキーサンドでした。アルコールが微量入っていて、酔うほど食べました」
「おいしかったんだ?」
「味は覚えていないんです。何もかもどうでもよくて、生き延びるためにはそのアイスクリームを口に押し込むしかなかった」
「ふうん」
「だから、味を知りたいんです」
「なるほどね。フウくん、ちょっと寝よう、そのあとそのアイスを探しに行こう」
「昔のアイスクリームなので……」
「もしあったら、わたしも食べたい」
「わかりました」
 何か言いかけた風くんを遮った。わたしはまどろっこしいのが嫌いだ。風くんはさばさばしているので、そのあたりの心配はしなくていい。気が楽だ。
 テレビを消して、わたしは風くんとベッドに入った。風くんの体温が、夏の空調とあいまって気持ちがいい。
 1時間ほど眠った。風くんはわたしが身じろぎしただけで起きてしまった。
「じゃあ行こうか」
 夜中の3時だった。わたしと風くんはチェックアウトを済ませ、近くのパーキングに停めておいた、改造済みのやたら静かなバイクにまたがった。
 そこから、目につくコンビニエンスストアに、手当たり次第に入った。どこにも見当たらないまま、日の出を見た。
「わたしもおなかがすいたなあ」
「何か召し上がりますか」
「お寿司がいい。納豆巻き。フウくんは何かないの」
「それでしたら、僕も寿司を。稲荷が食べたいです」
「今のコンビニエンスストアになかった?」
「両方ありました」
「買ってこよう」
 風くんととんぼ返りでコンビニエンスストアに入り直した。夜勤のクルーが面倒くさそうに「いらっしゃいませ」と言った。
「ハナちゃん、いくつ買いましょうか」
「あるだけ買って。お稲荷さんのほうも。ちょっとゆっくりしよう、さっきのホテルで食べよう」
「わかりました」
 納豆巻きが2つと、稲荷寿司が2パック手に入った。夜間帯にしては品ぞろえがしっかりしている。ホテルに入り直し、アダルトビデオをつけ、ふたりでベッドに座って食べた。
 わたしは納豆巻きが食べたかった。このホテルに来たかった。風くんと一緒に居たかった。けれど風くんは、ラムレーズンアイスクリームが食べたかった。もっとやりたいことがあるのかもしれない。なんとなく自分がわがままに感じられて、風くんに訊いた。妥協ばっかりの日だね。
「僕は、ハナちゃんが望むとおりになっていれば、それでいいので」
 風くんのこの献身は昔からだ。わたしは自分ではその献身を捧げられる価値があるとわかっている。
 なのに、簡単なことが言えないでいる。風くんは、わたしが死ねと言ったら死んでしまうのだろうか。十中八九、死んでしまうだろう。
 生業からも、難しいことだが、どうしても願ってしまう。
 わたしと一緒に生きてほしい。
 一方でわたしは、風くんが死んでも、別の仲間がいる限り、死ぬことはない。
 その時に孤独を感じない自信はなかった。
 納豆巻きの酢飯が甘い。いつ、どの食事が風くんとの最後になるかわからない。
 警察か、対立している族かに、風くんが殺される妄想をした。わたしは風くんを切り捨てるだろう。守るべき者たちがいる。きっと風くんもそうでなければ納得しない。
 酢飯の酸っぱさが後味を引いている。風くんと一緒に生きたい。その思いを噛み砕くには、納豆も海苔も酢飯も柔らかすぎる。
 アイスクリームのような冷たさがほしい。風くんはアイスクリームをねだった。一方わたしは、お寿司をねだった。
 もっと冷たくなりたい。けれど冷たくなってしまえば、一緒にお寿司を食べることを、こんなに幸せに感じないだろう。
 ホテルを出た後は、バイクで峠を駆け下りた。バイクに乗ったわたしは女帝だ。先程までの気の迷いは、警察に追われている間になくなっていた。
 悼むのならば、自由であれ。死を恐れ死にとらわれる不自由な生を、わたしは求めていない。仲間もみなそうだ。わたしが死んでもわたしはその先のことは知らない。わたしを失った仲間たちはきっとまともに機能しないだろうが、それは誰のせいでもない。仲間たちはわたしに縛られすぎているのだろう。
 わたしは誰かの死にとらわれるわけにはいかない。わたしが自由でなければ、みなが憐れだ。わたし自身すらも、憐れだ。
 それでも風くんと食べた納豆巻きは美味だった。早いうちに、アイスクリームが見つかるといい。風くんが生きているうちでなければ、どれだかすらもわからないのだ。



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