アリスを灼く雪の白

実に平和なサスペンス



 セックスの最中に、有栖は痛みを感じた。
 背に、灼の爪が立てられたのだ。
 何ら問題ない、むしろ興奮してばっちり楽しんだ。
 けれど、あまり伸ばさせていると折れてしまうかもしれない。
「シャク、爪は切らないのか」
 灼は、困ったな、というふうに蛍光灯に爪をかざした。
「切っても、いいんだけれど、結構派手なことになる」
 灼の爪は赤い。生まれたときからそうだったらしく、白い肌と白い髪に映える良い色だと有栖は気に入っていた。
「派手って?」
「血が出る」
「どれくらい?」
「ぽたぽた、ってくらい」
「いつもどうしていたんだ?」
「カグヤが風呂場で切ってくれていた」
 有栖は灼の手から零れる鮮紅を想像し、ためらって、けれど腹をくくって言った。
「今から切ろう。僕が手伝う」
「ありがとう、そろそろ邪魔だったんだ、助かる」
 そうやって、32度の風呂水の中に灼の手を浸させて、爪切りを始めることとなった。
「じゃあ、切るぞ」
「うん」
 心中でもするような有栖の様子に、灼は小さく笑った。
「別にそんなにばしゃっと出たりしない」
「ああ」
 パチン。爪切りが、灼の親指の爪を切った。
 湯の中に赤い筋が広がった。
 くらっと有栖はめまいを覚えた。
「綺麗でしょ」
 灼はそう笑った。
「……うん?」
「なかなか、気に入っているんだ。湯の中で、赤が広がるさまが」
「……そうか」
 パチン。爪切りが、灼の親指の爪を整える。
 湯に赤が広がる。
 今度こそ有栖は脳貧血を起こした。
「アリス!?」
 灼が叫ぶがもう遅く、有栖は意識を手放してしまった。
 有栖の目覚めは、額のひんやりした感覚だった。
「アリス、大丈夫?」
 灼が逆さに見える。
 そして額を何かが伝い、有栖はほぼ無意識に手で拭った。
 なんだろう、と、手を見ると、赤い液体が手にべっとりとついていた。
 有栖の気管がヒッという音を立てた。
「アリス、ごめんなさい、爪は自分で切ってしまった。爪切りはいま洗っているところだ」
「シャク、シャクは、痛みはないのか?」
「僕は全然平気。見た目が派手なだけだよ。ほら、もう血も止まってきて」
「見せなくていい、見せなくていい」
 額に乗せられていた灼の手をそっとどけ、有栖は体を起こした。
「あ、アリス、血が出ている、手が……」
 今度は灼が脳貧血を起こした。
「シャク!? どうした、シャク!」
 あとで訊くと、灼は自分の手から血が流れているのに気付かず、有栖の額に手を乗せていたため、まさか有栖の額が血みどろだとは思わなかったそうだ。
 それ以来、灼の爪切りは肉屋を呼んで頼むことになった。肉屋は肝が据わっており、なにもためらわず灼の手をきれいにした。
 有栖は多少やっかんだが、それよりも肉屋が気のいいひとでよかったと、爪を切りながら談笑する声を聞きながら思っていた。
 しかしながら肉屋も「綺麗でしょう」には賛同しきれていなかった。「おいしくなさそうだなあ」と返していたので、だいぶ有栖のやっかみも落ち着いた。


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