アリスを灼く雪の白

ウナギ・フロム・フレンチ



 リュークから灼に連絡があった。
 寒くなってきた折、体温の低い灼へ向けてランチを作りたいらしい。
 有栖は休みを調整し、灼と一緒に、リュークが手配した車に乗った。
「シャク様、アリス様、ようこそいらっしゃいました」
 ランチタイムなだけあって、リュークの店は混んでいた。代理のボーイが席に通してくれる。
 ただ、フレンチの店のはずだが、店に漂う香りは、どこか懐かしい。
 席に着くと、ボーイは言った。シェフが申しておりましたのは、白ワインで蒸したうなぎの蒲焼を召し上がってほしいとのことでございます。
「では、そちらをいただきたく思います」
 灼はそう言った。有栖もそれがいいと言った。
「承知いたしました。お料理が出来上がるまで、少々お待ちくださいませ」
 ボーイが戻っていく。
「うなぎって、どんな味だったかな、久しく食べていない」
 灼は有栖に尋ねた。
「僕も小さいころに、2回、3回、食べただけだな」
 有栖は自分と灼の腹が鳴るのを聞いた。蒲焼の香りは、たとえ馴染みが薄くても、懐かしさを覚えさせる。
「アリス、うなぎの蒲焼は、どうやって作るんだ」
「さすがに作ったことがない、ただうなぎは血液に毒があるらしいから、きっととても手間な料理なんだと思う」
「アリスが作ったことがないなら、とても難しいんだろう」
 灼の中では有栖はシェフなのだろう。しかし、有栖だって灼が来る前は鮭と白米のみや、塩ごはんのみ、ひどいときは店の余りのキャベツの千切りのみで暮らしていたのだ。家計が苦しく、自分からそれほど料理らしい料理をするわけではなかった。ただ、ここで否定したくはなかった。どこかでリュークへの対抗心があったのかもしれない。
 待ちながら、店内を眺める。フランスからの追っかけだと言わんばかりのブロンドたちがうなぎの蒲焼をおいしそうに食べている。箸が使えなくても大丈夫なように、ナイフ、スプーン、フォークがきちんとあるようだったが、ほとんどの異邦人たちは器用に箸を使いこなしていた。
 しばらくして運ばれてきたのは、つやのあるふかふかとした米粒に、濃いブラウンで芸術的な飴細工のように光を反射する蒲焼のたれ、その上に主賓として据えられた身の厚いうなぎの蒲焼だった。間違いなく高級なレストランのメニューだとひとめでわかるが、その魅力は高級なレストランというところにはない、家庭的な雰囲気の料理が高級なレストランで出てきたという感動にあった。小学校の同級生が、疎遠にしている間にハリウッドスターになっていたときのような気分だ。
「素敵」
 灼が言った。有栖は唾液を飲み込むのに必死で言葉が出なかった。
「いただこう、アリス」
 灼が促し、ふたりで「いただきます」と声をそろえた。うなぎに箸を差し込むと湯気が噴き出た。湯気が鼻先に触れるだけで、どんな大食い大会から帰るチャンピオンでも即座に腹を空かせるだろう。
 大ぶりのうなぎと、しっとりした米粒に絡まる濃厚なたれを一緒にして口に入れる。ほっぺたが落ちるとはこのことだろう。硬口蓋に触れたうなぎは逆らわず舌との間でとろけた。唾液腺からはとめどなく美味という感想がほとばしる。
「おいしいね」
 灼は大層気に入ったようだ。有栖も大満足だった。
 食べ終えて放心を挟み、それからもしばらく待ったが、リュークは忙しすぎて出てこられないようだった。ボーイが伝言を持ってくる。料理がお気に召していれば幸いです、ご挨拶に伺いたいのですがどうしても難しく、またご招待したらいらしていただけますか?
「また来させてもらえるのならとても嬉しい。リューク様によろしくお願いします」
「かしこまりました。お伝えいたします」
「今日はご馳走様。こんなに混んでいるのに席をとっていてくれてありがとう。また来させてください」
 帰路で、有栖は言った。明日もうなぎにしないか。
「またリューク様のレストランへ行くのかい」
「いや、僕が作ろう」
「有栖もうなぎを調理できるのか」
「向かいの魚屋を覗いて帰ろう、たぶん、蒲焼を置いているはずだ、温めるだけのうなぎだけれど、きっとおいしい、今日のうなぎに敵わないかもしれないけれど、どうしても僕はうなぎが好きになってしまった」
「僕も、今日でうなぎが大好きになったよ。明日も楽しみだな」
 いいシェフは、きっとそのシェフを好きにさせるだけではない。食事というものを好きにさせるのだ。そしてもっと好きになりたくて、またそのシェフに料理を頼む。食べた人はもっと食事が好きになる。毎日幸せに食事をとるようになる。優れたシェフとは、そういうものだと思うようになった。
 明日のうなぎでも、有栖は灼に食事を好きになってほしいと思っている。料理に力を入れようと努力しようとしている。優れたシェフがひとりいるだけで、影響力は計り知れない。




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