アリスを灼く雪の白

煙草とヴァージニティ



「フウくん、煙草取って」
 わたしは風くんの持っている煙草を目線で示した。
 風くんは何も言わず、箱から煙草を1本取り出して、くれた。
「火もつけますか」
「もうちょっとしたらでいいや」
 風くんは禁煙するらしい。傍士さんのご家族の影響かもしれないし、違うかもしれない。煙草の箱を持っているのは、ひとえに、煙草をねだるわたしのためだ。
「フウくん、なんか話して」
「噂話ですが、どこかのギャングだかマフィアだかの間では、煙草の煙を相手に吹きかけるのは、性行為の誘いであるらしいです」
 風くんはよどみなく話を始めた。こういう時は風くんはいつにも増して興味深い話をする。
「ふうん」
「煙草の煙には唾液が微量含まれます。その唾液を顔に吹き付けるのと、顔にキスするのとの違いが、僕にはわかりません」
「それもそうだねえ」
「しかしながら面白いルールだと思うんです。顔がセックスアピールになるのは余程仲がいい間柄にならないと難しいと個人的には感じています。つまり、相手のセックスアピールの場所に煙を吹きかけたほうが、プレイの中身もフェティシズムも互いに理解できるし、より手っ取り早くセックスに至ると考えられます。ならばなぜそうならなかったか」
「うん」
「ならず者なりのプライドがあるのだと仮説を立ててみます。顔にキスするのは慣れていれば誰にでもできます。そこにプライドはほとんど介在しない。つまり、誘っているだけなのです。一方で、僕の話した『相手のセックスアピールに直接アタックする』方法では、やる側が大きなリスクを負うんです」
「というと?」
「誘う側の性癖がストレートに伝わるのに、誘われる側の情報が一切入ってこないからです。相手にすべてをさらけ出してそれでもあなたを抱きたい及びあなたに抱かれたい、と主張するのは、プライドが許さないのではないかと」
「ほう」
「しかしながら慣習というのは不思議なものなので、僕の話した方法がもしも馴染んでいったとしたら、煙草の煙だけで絶頂に至るプレイも可能になるでしょう。たとえば指にセックスアピールを感じられてそこに煙を吹きかけられる、至って異常なことではないただそれだけ、なのに求められているのは性行為、そして行われるセックス、望まれなければ望まれないほど強烈に記憶に刻まれる、という具合です。煙で達する、というヴァージニティの喪失が、ならず者界隈に浸透するとしたら、革命的なことです。最初に調教した者の息遣い、体臭、煙草の銘柄、すべからくが、新たな恥辱の対象となるのです」
「面白いね」
「煙で達することを覚えたならず者は、煙草の並んだコンビニエンスストアに入る度に、あるいはファストフード店の喫煙席に案内される度に、あるいは捨てられた吸殻を見る度に、性欲を勃起させることでしょう。最早生活がままなりません。そこまでの調教がなされるとしたら、顔に煙を吹きかけるなんて生易しいにもほどがある」
「それで?」
「結論としては、相手に隙を見せないまま相手を求めるローリスク・ローリターン、それに対して、相手にすべてさらけ出して相手を性奴隷にまでできるハイリスク・ハイリターン、どちらを世の中が選んでいくかで、僕の禁煙生活の価値がまるっきり変わってくる、ということです」
「もうちょっと聞きたいなあ。煙でイかせるとして、2代目以降のお相手はエッチなテクニック要らないよね? わたしはもし偉くなったらそういうイきやすい子を囲って生きていきたいんだけれど、この場合、世の中がどっちを選んだほうがわたしにとって気持ちいいんだろう」
「個人的なお勧めは、ハイリスク・ハイリターンのほうです。煙が絶頂のトリガーになったとしたら、2代目以降の飼い主にとっては性行為は必要ありません。以前に誰が何を突っ込んでいようと関係なくなります。ハナちゃんは女性ですので、体の構造上、煙でイかせるだけイかせて、それでも尚いたぶりたいときに性感帯を刺激してやるほうが、楽に落とせると思います」
「落とした後はどうなるかなあ。腐っても2代目だし、初代は超えられないわけじゃない?」
「初代はそのならず者にとって永遠になるでしょう。落としてからも楽しみたいのであれば、2代目というのをキーワードにしてしまえばいい、あるいは初代が男性なら、ハナちゃんは女性だということを推していけばいいかと考えられます。初代との関係を問い詰め、再現し、初代とハナちゃんの違いを自覚させるんです」
「うんうん、なるほど。わかった。面白い話だったよ」
 わたしは手に持ったままだった煙草を見つめて、少し考えた。風くんとセックスがしたい。
「フウくん、禁煙、一生するの?」
「そのくらいの気持ちでいます」
「ふうん」
 わたしは煙草の先を風くんに向けた。火が欲しいという合図だ。風くんはすぐにジッポを取出し、火をくれる。
 深く吸って、深く吐いた。わたしは今、風くんのいるこの倉庫の空気を犯そうとしている。


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