おいしいものを食べたいね

第二章 フローズンバナナ



 綺麗に並んだおにぎりを眺めながら、俺は時報を聴いた。胸と尻が大きくてウエストが細い酔っ払いにつまみを買い込ませただけのいちにちが終わったのだ。
「先輩、ハイチキン廃棄しといてください」
「店長食わないの」
 かれこれ8年俺を先輩と呼んでいるサトウも、今はこのコンビニの店長に上り詰めた。最初サトウは気まずそうにしていたが、俺が昇進に興味がないことやサトウの店長としての能力を認めていることを知ると、前と変わらず接してくれるようになった。
「先輩チキン食べます? 休憩入って食べてきて構いませんよ」
 サトウはぽつりと「人も来ないし」と付け足して、トングを取ってハイチキンを袋に詰め始めた。ハイチキンひとつぶんの紙袋にみっつも押し込んだものだから、先程のグラマーな酔っ払いよりもムチムチになってしまっている。
「大好評ハイチキン詰め合わせです、おひとついかがでしょうかー」
「いかがでしょうかー」
 寂しげなサトウのセールストークをほぼ無意識に復唱しながら、おにぎり売り場からカウンターのチキンのコーナーまで戻る。サトウからチキンを受け取ると、みっつもこの袋に詰め込む技術の無駄遣いに呆れるばかりだ。
「先輩、チキンの売り上げとクオリティは妥当ですかね」
「一袋にひとつ入ってたら妥当だと思うよ、味もいいし」
「おでんに一定のニーズがあるのはおいしいからでしょうか」
「うん、うちのおでんは美味いよ。じゃあ休憩入ります」
 サトウがおでんをつついている横を通り、バックルームへ戻る。休憩の手続きをして、制服の上着を脱いだ。いくら美味だといえ、チキンをみっつも飲み物なしで流し込むのはわびしい。眠気覚ましも兼ねてコーヒーを飲みたいな。そう思いついて、尻ポケットに財布だけ突っ込んでバックルームを出た。コーヒーのコーナーで、無糖かつ安価で苦そうなものを探す。そこでハイシティ独特の来店音が鳴り、足音がふたつ入ってきた。先程の酔っ払いのようなハイヒールの音がしないのが俺の興味をそいだ。それが顔に出たのか、レジのサトウは俺と目が合っても呼び戻しはせず、ひとりでレジ前まで戻って接客を始める。いらっしゃいませ、という声がひとつ、店内に響く。
「ねえ店長」
 その声にコーヒーがどうでもよくなった。脳をよぎっていたあの酔っ払いの揺れる谷間も些事だ。コーヒー売り場でコーヒーたちに向かって仁王立ちした。そのあと威嚇するツキノワグマのようにレジを振り返る。ここからでは、2番レジは見えても1番レジは見えない。サトウは1番レジにいるし、客、紛れもないリシャの姿も、棚に隠れて見えない。リシャが来たということは、もうひとりはヅキだろう。
「あ? なに」
 サトウが下品にギャハと笑った。なんだろう、明らかに違和感がある。本能で足音を立てぬようにリシャのほうへ向かう。よく考えたらヅキは長身だ、棚に隠れて見えないことなどない。
「店長が前に持ってたイチゴのゴムほしい」
 リシャの声が聞こえ、とうとうリシャの連れの顔が見えた。どこにでもいそうな、もさもさした男だ。リシャとの距離がやけに近い。カウンターに寄りかかって体重を乗せているリシャの斜め後ろに立ち、片腕をリシャの腰に回すようにカウンターをとんとんと指で打っていた。
 近づく俺の足音に気付いたリシャは、一瞬目を泳がせた。けれどすぐに、なにか考えたような目線で「みぃくん」と甘えた声を出した。無論俺はリシャに「みぃくん」などと呼ばれたことはない。何かあったのだ。原因は隣の馴れ馴れしい男だろうか。俺の頭は久し振りに全速力で回転した。サトウがとった態度、ゴム、みぃくん。リシャはなんらかのヘルプを求めているのではないか。例えば、ヅキに言いにくいこと、そう、遊びに出て変な男に絡まれたけれどヅキに言わずに出てきたためヅキは頼れずここへ来た、などだろうか。
「ゴムならこの前あげただろ」
 話を合わせて俺も加わる。
「使い切っちゃったんだよ、みぃくんが僕と遊んでくれなくて寂しかったんだから。あ! そうだ、これからおいでよ、このお兄さんと一緒だけれど、いいよね? 店長も一緒でもいいよ!」
 うろたえたのは男だった。リシャは俺のほうへ話しながら近づいたため男はリシャの肩を掴むしかなかった。甘えた声を聞いて若干甘くつらい気分になっていたが、男にリシャを勝手に触れられて一気に頭に血がのぼる。
「おい」
 俺が口を開く前に、男はひとこと、そんな間の抜けた凄みかけの腑抜け声を発した。リシャは振り向きもせず、聞いたことのないような苛立ったような猫撫で声で言う。
「ねえ、僕はまだお代もらってないんだけれど。勝手に触らないでくれないかな。これ、立派なオプションだからね」
 サトウが俺に目配せをしてきた。3人でこの無礼な男を追い払う作戦を、サトウは思いついたようだ。
「お客様、あたためましょうか?」
 サトウがカウンターを出て、いい感じのニヤニヤを浮かべながら男に触れようとするように男に手を伸ばす。サトウ、恐ろしい男だ、普段のサトウを知っている俺なら脅しているだけだとわかるが、初めて見たら、危ない変なやつに見えるだろう。男は不利を認識し、後ずさる。
「みぃ様はそちらをすぐに召し上がりますか?」
「はい。あたため結構です、自分らでやります」
 試しにサトウの言葉に乗っかってみる。サトウは楽しそうに笑った、本当におっかない男だ。
「ではそちらのお客様からお伺いします、どうぞ」
 あわあわと怯えている男に、全員で追い討ちをかける。リシャを引き寄せ、俺は手のひらで男をサトウのほうに促し、どうぞ、と言った。リシャは意味深長に携帯電話をいじっている、これは怖い、リシャはどう見ても大学生だ、徒党を組んで友人らが駆けつけるかもしれないと思わせる。
 慌てすぎている男は口をぱくぱくさせているが足は動かないようだ。サトウが一歩、一歩と男に近づき、パーソナルスペースを侵した辺りで立ち止まる。そしてにんまりと笑って服を脱ぎ始める。まず制服を脱いで投げ、それからシャツ、そして上半身を晒しても飽き足らず、ボトムのジッパーを音を立てて下げた。ジ、というその音で男は我に返り、蹴躓きながら逃げだした。自動ドアが開くのも待てず派手な音を立てて体当たりして自分で悲鳴を上げていた。
「……いやはや」
 最初に勝利の溜息をついたのはサトウだった。ジッパーを戻し、服を拾い集める。
「リシャさん、怪我とかしてませんか」
 俺も力が抜け、引き寄せていたリシャから手を離して言った。
「大丈夫です、むしろ駆け込んでしまってごめんなさい。警察に行こうとするとさすがに危ないかと思ったので」
「ああ、そうかもしれませんでしたね。監視カメラにばっちり映ってますので大丈夫ですよ」
 俺の言葉に、リシャは笑ってくれた。サトウが「俺の肉体美も」と添える。確かに童顔なくせにしっかりした腹筋をしている。
「ああ先輩、いいですよ、上がって」
 サトウがシャツのボタンを留めながら俺に言う。
「帰り心配でしょ。送ってってあげてください。もしリシャさんさえよければバックで時間つぶして時間通りの退勤でも構いませんし」
「いえ、そこまでお頼りするわけには」
 リシャが丁寧に断ろうとするが、これは俺にとって千載一遇のチャンスだ、なんとか引き留めようと頭の辞書をめくる。
「リシャさんがいてくれると、俺がサボれるって話ですね」
 ようやっと見つけた言葉は、こんなつまらないものだった。けれど、リシャは好意的に受け取ってくれたようだ。じゃあ、お願いします。心なしか柔らかい表情になったリシャが言った。
「じゃあ、リシャさん、こっちです。あとは先輩、頼みます」
「ありがとな」
「いえ」
 サトウがリシャと俺をバックルームに通す。先程サトウにもらった冷めたハイチキンが転がっていた。俺だけ食べるのも変な話だけれど、冷めたチキンを食べさせるのはもっと変な話だ。俺はリシャに椅子を勧めながら、なにか案はないかと周りを見渡した。
 見渡してみるものだ、新商品のフラッペの広告が目に入った。これだ。
「リシャさん、ハイシティのフラッペはもうお試しになりましたか?」
「あ!」
 リシャの表情が一気に輝く。
「あの、興味すごくあるんですけれど、まだで! フローズンバナナかクールキウイかなと思うんですけれど、うーんでもゴージャスアップルも捨てがたくて……いやジューシーピーチ……それとも王道のミルキーストロベリーでしょうか!?」
 あまりにテンションが高いので、俺は少し噴いてしまった。ごまかすために、「少々お待ちいただけますか」と言って、店内のカメラを見て客がいないことを確認し、バックルームから首だけ出してサトウを呼んだ。
「先輩? あと15分近くもありますよ」
「それは大丈夫だ。店長、試供のフラッペ全種類。コーヒーは俺が飲むから」
 いま、ハイシティはコーヒーを頼むとフラッペがついてくる企画を行っている。フラッペは5種類なので、俺が5杯のコーヒーを飲むことでフラッペが制覇できるというわけだ。
 コーヒーは1杯100円だ。財布から500円玉を出してサトウに渡す。サトウはにこにこしながら「少々お待ちくださいませー」と元気にフラッペを冷凍庫から出した。Sサイズのコーヒー5杯と一緒に盆に乗せて持ってきてくれる。
「ありがとうございます、なかなか伸び悩んでるんですよね、この企画」
「コーヒーにフラッペだと飲み物オン飲み物であんまりありがたくないんじゃないのかな」
「うーん、そうなんですか。苦いのと甘いのをくっつけるといいかなと思ったんですけれどやっぱりわかりませんね。じゃあごゆっくりー」
「ああ、ありがとう」
 盆を受け取り、バックルームに戻ると、リシャが「わあ」と目を輝かせた。
「試供のなので、無料でどうぞ」
 リシャは一瞬、ん?と考えた。しかし本当に一瞬で、すぐに笑顔に戻って「ありがとうございます!」と盆を受け取った。
 楽しそうなリシャを間近で、しかもふたりきりの状況で見てしまって、俺は急いで冷めたチキンをかじった。からい。からくてよかった、気分が甘くて甘くて仕方がない。甘さを摂取したときの俺の体調不良を例えるなら、学校の屋上から全校生徒の前で大声で愛の告白をする感覚をもっと暴力的にしたような感じだ。行き過ぎた緊張のように頭に血が巡らなくなり、それに伴って様々な不調をきたす。
 リシャは実においしそうにフラッペを飲んでいる。濃厚なものが好きなようで、フローズンバナナとジューシーピーチが特に気に入ったようだった。リシャが繰り返す「おいしい」という言葉の分析は、とても楽しいし、わかりやすい。
 俺は冷めても美味なチキン3個を食べ終わり、コーヒーを3杯飲んだ。キウイのフラッペを飲み干したところのリシャに訊いてみる。冷えませんか、温かいハイチキンも召し上がりますか?
「ああ、ごめんなさい、僕は甘いもの以外を受け付けないみたいなんです。体質みたいで」
 なんとなく、そんな気はしていた。敢えて訊いたのは、自己防御だ。リシャは、俺とすべてを共有することはできない。それを必死に叫んでいるのはなけなしの理性だ。
「へえ、大変ですね。俺は甘いのを摂ると立っていられなくなるので、なんとなくお察しします」
「逆で、でも一緒ですね」
 リシャはどこか嬉しそうだ。俺は、まさか一緒と言われると思わなかったので、少し胸が苦しくなった。それでも、リシャが俺を突っぱねることなく一緒を喜んでくれるのなら、と考えると、苦しさが何かに変わろうとしていた。何に変わるかはわからない。でも、よいものである確信がある。早く変わってしまえと願うが、まだ、そのよいものを掴み切れず、苦しい。言い換えれば、甘い。


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