おいしいものを食べたいね

第三章 フラッペ



 リシャの家まで35分以上は歩いている。リシャは楽しそうにヅキとの関係を話した。SNSで小学生時代に彼と出会ったこと、その頃リシャは給食を受け付けないことで悩んでいたこと、友達には困らないくらい社交的だったけれどなぜかヅキにしか話せなかったこと、そして少し黙り、ごめんなさいミビヤさんはこんな話をされてもつまりませんよね、と言った。
「いえ。リシャさんのことを知ることができて、嬉しいです。リシャさんと、本当はずっと話したかったんです」
 俺がそう言うと、リシャは「えっへへぇ?」と笑いながら照れた風に驚いた。
「最初に会ったとき、ヅキ様のことばかりご覧になっていたのに」
「え? ああ、よく覚えてますね……」
 そういえばそうだった、ヅキの存在感では、見ないでいるほうが難しい。特別な感情は一切ない、少なくとも……そこまで思考が行きつき、俺は軽いショックを自覚したので、この前の職場のコラボレイト商品、エアーまんとかいった中華まんを思い出して思考を止めた。あれの食べかけの写真は強烈だった。倒せない。
「ヅキ様は、きっとミビヤさんの味方ですよ」
 意味を図りかねた俺の靴のかかとがアスファルトに擦れる。
「今日ヅキ様がいないのは、夜回りとでもいうんでしょうか、治安維持に行ってるからです。あんな外見なので、非行の子たちには親しみやすいみたいで。実は僕も、小学生時代に釣られた口なんです。あっいや、ヅキ様が味方っていうのは、ミビヤさんが僕みたいな非行だって言いたいわけでなしに。初めての頃をなぜ覚えているかって、ミビヤさんがヅキ様をご覧になる雰囲気が……ええと……」
 リシャは必死に言葉を探している。けれど言いたいことはわかった。思い当たる節もある。
「リシャさん、俺がするのは、楽しい話でなくなってしまうんですが」
「あっ、はい」
 リシャは感じの良い、柔らかい微笑で目を大きめに開いた。
「家庭崩壊に似た状態が理由だったんです、俺が高校に行かずに就職したのは。俺のハイシティ勤務は、あながち非行と変わらないかもしれません」
 リシャの目が俺をじっと見て、少し伏せられ、また俺を見る。いつの間にか微笑はなくなっていた。
「僕にも、昔は家族がいました。いえ、たぶん現在も存命ですけれど、一家で散り散りで暮らしている状態です。というか、家族が何人いるのかも曖昧なんです。……少し踏み込んだ話をしてしましましたね、僕はいっかい喋り始めると長いみたいで。よろしければ上がっていってください。時間も時間なので、難しければまたの機会にでも」
「いえ、ぜひ」
 社交辞令の言葉を喰らうイソギンチャクのような声が出てしまった。それでもリシャはにっこりと笑って、2階です、と、すぐ右にあったグレーのアパートの階段を上がっていく。
 小さなアパートの小さな部屋だ。リシャが鍵を開けて、お靴は脱がずにどうぞ、と招き入れてくれた。言われるまま、お邪魔します、とついていくと、オートロックらしい音で扉が閉まった。リシャが明かりをつけると、白と橙を基調とした元気な印象の部屋が目に飛び込んでくる。なんとなく、似合わない、と、思った。けれど、6年前に会ったときにリシャが着ていたのは、この部屋によく似合うパーカーだった。この違和感はなんだろうか。
「ミビヤさん、テーブルへどうぞ。お飲み物は、あ……甘いの、だめなんですよね?」
「ええ……そうです、ね」
 距離を感じてしまう。困らせているのが申し訳なくて、お構いなく、と俺の口が動いた瞬間、部屋の照明が、すんと照明が暗くなった。申し訳程度に降り注ぐ僅かな光は、白い光源であるのに薄いグレーに見える。停電かな、と呑気に構えていると、リシャが俺に声をかける。すみません、アルバイトがあるのを忘れていました。
「申し訳ありません、ミビヤさん、こちらからお招きしたのに」
「いえ、俺は大丈夫ですが、リシャさん、停電でしょうか、これは」
「ケエキという友人がプログラムしてくれたんです、外出予定をクラウドのスケジュール帳に書けば、適当な時刻に、部屋の照明が落ちるんです」
「アルバイト先まで送りましょうか」
「アルバイトがないときにじっくり話したいです」
「わかりました」
 あまり引き留めてリシャを遅刻させるわけにもいかない。大人しく引き下がることにした。
 そのとき、トォン、と、澄んだ音がする。玄関に置いてあるリシャの携帯電話のようだ。
「わかってますー」
 リシャが携帯電話まで駆け寄りがてら、むくれたようにそう呟く。子供じみた口調を楽しむ間も待たずに、リシャが電話に出た。
「はい、リチアです。家におります。ええ。あっはは、忘れていませんよ。では今日もよろしくお願いします。それでは、2時に」
 リチア。リシャはそう名乗った。なんとなくそれを忘れてはならない気がした。
 リシャが電話を切る。そのまま小さく息を吐いた。
 俺は立ち上がり、椅子を正して玄関に歩いていく。
「リシャさん、では、今日はお邪魔しました。今度ゆっくり話しましょう」
「ええ、ぜひ話しましょう。道は、お判りでしょうか?」
「はい、真っ直ぐ東、ウサギの菓子屋を左折でハイシティですね」
「ご存知でしたか……もう少しミビヤさんと歩きたかったのですけれど」
 リシャは悪戯っぽく笑った。俺は暗いのを感謝した、もっとも、顔だけでなく笑って答える声まで熱を帯びていそうなくらいだ。
「では、リシャさん、失礼しました」
「ええ、またお店に伺いますね。今日はどうもありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました、お待ちしております。それでは失礼致します」
 一礼して、アパートの階段を下りた。
 リチア、リチア、リチア。一歩踏み出すごとに、その名前が頭の中で響き渡った。歩くうちにリシャの顔とリチアという名前が合致してくる。
 したがって家に着いていちばん最初にしたことは、インターネットで『リチア』と検索することだった。
 一般的な名前だ。たくさんヒットする。ブログ、有名人のニュース、歴史上の人物、そんな膨大な情報に困っていたところで検索エンジンが物申した。『もしかして:De LICIA』とある。すがる思いでクリックすると、ブログがヒットする。クリックすると、唐突に年齢を訊ねられた。感覚として、驚くものは、不思議となかった。正直にオーバーエイティーンと答え、真っ先に目に入ってきたのは、当然、リシャだった。そうだろうなと思った。けれど身体がこんなになるとは思わなかった、ずくずくと血が腹の下に集まり、犬よろしく息が苦しい。ページに載っているリンク付きの画像は別に成人向けの動画ではないようだったが、雰囲気というものがある。
 スクロールして3枚ほどのリシャを見送ると、勝手に下からポップアップで広告が出る。『フラッペ大好きLICIAちゃんのフ●ラ感触wwwひんやり気持ちよすぎるwww』という文字を見た途端、理性が飛んだ。広告をクリックする。ボトムを緩める。コンドームを咥えたリシャの動画へのリンクが現れる。サンプル画像が1秒に満たない時間で切り替わる。フラッペを飲むリシャの画像があった。職場のフラッペでないことに変に安心した。右手で脚の間に触れた。ただの画像にこんなに勃ったのは10年ぶりくらいだ。
「……ん……リシャさん……」
 まだ動画はクリックせず、サンプル画像を眺める。口の端からバニラのフラッペを零しているリシャ、太めのストローを咥え上目遣いで見上げてくるリシャ、ゴムを被せられた太く赤いストローを微笑みながらねっとりと撫でているリシャ、傾けられた容器から伝うフラッペを赤い舌で舐めとるリシャ。
「……ふ……」
 相当良い気持ちになってきて、頃合だと動画をクリックする。
 橙色のブログサイトから、外部サイトへ飛ぶ。
 『THIS IS A DELETED VIDEO』だそうだ。


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