モルモット式xxx(CASE.XACH)

序章




「彼女は、きみが担当するべき患者なのかねえ」
 アミ先輩が、狭い喫煙スペースの至近距離でわたしに訊いてきた。
「お医者の先生たちも、きみには期待しているんだよ。祈祷セラピスト専門学校で五本指に入る成績および品行のよさ。僕も知り合いのお医者の先生にはきみを売り込んでしまった、保護室から出てこられないようなひとたちだって、きっときみにかかれば営業サラリーマンに戻れるって」
「先輩、それは言いすぎですよ。そもそも先輩、その五本指の話、わたしの同期のメグやナオにもしたでしょう」
「む! 知っていたのだね、でもいいじゃないか、実際メグくんもナオくんも、その表現から外れてはいないでしょう。それより、話はそのあととその前だよ」
 先輩はわたしに煙がかからないように、右斜め上を向いて煙を吐き出した。わたしも話をはぐらかすことができないことを悟り始めていた。
「彼女、ええと、そう、ザッハさんだっけ、彼女のどこにきみが受け持つメリットがあるんだい、就労不能で援助を受けているとはいえ、それだけだ。エリートのきみが彼女に時間を砕いていていいのかい、きみの進退にもかかわってくるかもしれないよ」
 出世の道を勧められていることに、わたしはほんの少し引っかかるものを感じた。けれど、このアミという、やり手の祈祷セラピストにとっては、たぶん患者を治療するのはステップでしかないのだ。わたしはそれを悪いとは思わない。価値観が違うだけだ。
 そもそも、たとえば医者でさえ、この世で何人が、人を救うのが至上の喜びだなんて世迷言を信じているだろうか。それに、もとはと言えば人が働く最たる理由なんて、どうせ生活を豊かにするためだ。わたしだってそうだ。そこにどこまでエゴイズムが食い込んでくるかの問題だ。
「それは、先輩からわたしへの助言ですか」
「まさか! 単なる世間話だよ。かわいい後輩への主観的な感想を述べているだけだ。それで、どうなの、本当に彼女でいいのかい、今なら僕だって他言しないし、喫煙室は僕ら以外誰もいない。やめるなら今だよ」
「わたしはやります」
「就労不能の患者のセラピーはあんまりお金にならないよ」
「そうは言っても治療期間中は患者と同室で暮らすんです。あまりたくさんのお金があってそれが彼女の目を狂わせたら嫌だ。彼女に罪を犯させるわけにはいきません」
「それに彼女は性依存がひどいんでしょう。一般的に祈祷セラピーによる予後はよくはないよ、再発率も高い、セラピストが被害にあうことだってある」
「女性であるわたしがきちんとケアをします」
「普通セラピストは患者を決めたら社会復帰まで導かなくてはならない。表向きは1年以内とされているけれど、祈祷セラピーの特殊性から、普通はそうだ。性依存だと社会復帰まで長いことが多いから、きみの時間を食いつぶしてしまうかもしれない、彼女ひとりを救う時間で、ほかに何人も救える患者がいるかもしれない」
「ほかの患者を受け持っても同じことです。治療にかかる期間はわたしの力量次第でしょう。それに、最終的には彼女も誰かが救わなければなりません」
「エリート新卒のお遊びだと患者に思われてでもかい」
「……患者からどんな悪意を向けられても、わたしは彼女を治療します」
 正直なところ、彼女がわたしに悪意を向けるところを想像できなかった。わたしから見た彼女は、誰か、そばにいてくれるひとを探しているように見えた。
 しんとした病棟で、彼女だけが微笑んでいたのだ。その表情が、わたしには忘れられないのだ。ひとだ、ひとだ、と、喜び訴えかけるような微笑みだった。彼女はきっと、そばにいてくれるひとを探しているのだ。
「なら、なんで僕が彼女を治療しなかったと思う?」
 そう問いかけたアミ先輩は、なぜか、ほんの少し寂しそうだった。
「僕はね、自分で言うのも変だけれど、祈祷セラピストとしての能力は高い。専門学校生の頃から成績もよかった。今では患者とマンツーマンの治療をすることも少ないくらいだ、つまりいっかいの治療で患者を深くケアできる。だからこうやって、勤めて2年目なのに、病院でゆっくり、お医者の先生方と同じような待遇を受けている。出世ってやつだ。それは僕が昨年8人の患者を社会復帰に向かわせたからだ」
 先輩は深く煙草を吸いこんで、そのあと口をすがめて煙を吐き出す。煙草を灰皿でねじ消した。
「……そんな僕が、性依存なんて、治療の難しい患者を治すという出世街道を走らなかった理由は、わかるかい」
 黙ってしまったわたしに、先輩はいたずらっぽく笑った。
「ここだけの話、とっても面倒くさいんだよ」
「……それでも、やります」
「それでもいいって言うなら、彼女以降の患者のケアは楽に感じるかもね。特に祈祷セラピーは、いちばんケアに直結するのは第六感だ。今回はきみのそれを、信じてみようか。そうだね、いっこだけアドバイスをしよう。患者には患者なりの生活がある。どんなに異常に見えても、彼彼女らなりのルールがあるんだ。そこを乱さないようにしてあげれば、治療中の共同生活も、『憑依』を行ってケアをするときも、きっとスムースに行くだろう。きみならわかっているかもしれなかったね、余計なお世話をごめんね」
「いえ。肝に銘じます」
 うん、と、先輩は、ジッポと煙草の箱を持って、喫煙室を出ようとした。
「ああ、あと」
「はい」
「副流煙は体に悪いよ。僕が治療時間以外、喫煙室にこもるのもよくないのだけれど、きみも吸ってもいいんだからね。どう? いっぽん要る?」
 先輩はわたしに煙草の箱を差し出した。アメリカンスピリットの3ミリだった。
「いえ、わたしは」
「そっか。じゃあ、何かあったらまた声をかけてよ。うまくいくように七福神にでも祈っておくよ」
「ありがとうございます」
「ザッハさんの病室はわかる? これからは病棟外の施設でザッハさんと暮らしてもらうことになる。施設に行く前にあいさつをしておいたほうが警戒されないかもね。施設は部屋が狭いから、いきなりそこで知らないひとと暮らすのはお互いに大変だよ」
「わかりました」
 ナースステーションのほうへ行った先輩と別れ、ザッハの病室に向かう。
 窓越しに見たザッハは、スマートフォンを横持ちにして眺めながら、ベッドに腰かけていた。セミロングのストレートの髪が肩からこぼれている。
 わたしはノックをした。ザッハはすぐに「はあいどうぞ」と返事をくれた。
「こんにちは、ザッハちゃん」
「こんにちは」
 ザッハはこちらをちらと見て返事をくれたが、またすぐに画面に視線を戻してしまう。
「これから一緒に治療生活をする、フミといいます。よろしくね」
「うん、よろしくね」
「ちょっとお話いいかな?」
「ああ、ごめんね、携帯消すね。いいよ、なに?」
 ザッハはスマートフォンを伏せて、わたしを舐めるように見た。
「ザッハちゃんは、なんでこの病院に来たの?」
「来たかったからだよ。これ以上は話が長くなるよ」
「聞きたい」
 ザッハは目を丸くして驚いた。しかしすぐに話し始めた。楽しそうに話す子だな、と思った。
「出会い系で出会ったひとに家まで車で送ってもらったら、親にとってもひどく怒られてね。もうわたしも18歳だよ、怒ることないじゃない。それだけで嫌な気分だったのに、その出会い系の人が、やくざさん関係だったの。そのあとも何回か送ってもらってるうちに、わたしも怖くなってきちゃって親に相談したんだ。やくざのセフレがいますってね。そうしたら、親が、家にずっといて外に出るなって言ったの。その通りにしたけれど、そのセフレはわたしの家を知ってるでしょう。わたしも2日くらい家にいたけれど飽きちゃって、そのセフレに家に来てもらったんだ。親の目を盗んで。そうしたらハメた後の精液たっぷりのゴムが親に見つかってね。怒られて怒られて、てめーなんか精神科行きだー!って病院に行ったんだね。でも病院の先生は、固定のセフレとするのは異常じゃないってわかってるじゃない? 八方ふさがりだったんだね。それで親は幸か不幸か裕福だったから、任意入院をさせてほしいって先生に頼んだんだね、それがここだったんだよ」
「なるほど」
「カルテは見てくれた? 先生が書いてくれてるはずだよ、わたしは性的な動機付けがないと何もできない。おしっこするのはオナニーのときに汚くないように、お風呂に入るのは不潔な女は男性に需要がないから、みたいに。だから家にいる間は、言うのもはばかられるほど不潔だったよ。セフレと会うときは綺麗にしてたけれど、汚れなんてすぐ落ちるものじゃないし、セフレのひとも不潔な女で嫌だったかもね。学校も行けなくなって、アルバイトをしようとしたこともあったけれど、どうやって先輩や上司とセックスするかしか考えられなくて、でもそんなことできなくてつらくて辞めちゃった。辞めたのは正解でしょう? こらえるのをとてもとても頑張ったよ。でも、先生は違うでしょ? 先生は祈祷セラピーのひとでしょ? ネットで見たら、祈祷セラピーの最中って生ハメしても規約違反にならないんでしょ? 先生とエッチするの楽しみだなあ」
 ザッハはにこにこ笑いながらわたしを見ている。もしかしたらザッハがスマートフォンから目を離しても平常を保っていられたのは、ザッハがわたしを性的な対象として見ているからかもしれなかった。
 ならば、それを活かして治療するまでだ。
「でもねえ」
 ザッハはまだ話している。
「わたし、セックスって嫌いなんだ」



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