モルモット式xxx(CASE.XACH)

憑依式グール




 ザッハはわたしによく懐いてくれた。
 既定の施設に入所したザッハは、「綺麗な部屋だね」とはしゃいでいる様子だった。床はカーペット張りで、布団がふたりぶん、畳んで置いてある。食事が二人前やっと乗るくらいの机があり、椅子が2脚、その横にキッチンと冷蔵庫と電子レンジが綺麗に並んでいる。
「ここで先生と暮らすんだね」
「先生じゃなくていいよ、わたしはフミって言うんだ。名前で呼びなよ」
「じゃあ、フミちゃんだね」
「うん」
「ちょっと休んでもいい? AVも見ないでこんなに長く居たの本当に久しぶりで、疲れちゃった」
「うん、ゆっくり休みな」
「布団借りるね」
 ザッハは手際よく、けれど乱暴に布団を敷いて、スマートフォンの電源を流暢につないで、布団に潜り込んだ。
 わたしは昼食を作ることにした。施設とはいえ、祈祷セラピーのための入所は、実質、同棲生活だ。キッチン関連は、セラピストがロックを外さないと包丁も出なければコンロも使えない。
 カレーに入れるじゃがいもを16等分しながら、ザッハを横目に見る。
 一般的に、医者は患者に依存されてはならない。一方で、祈祷セラピストは、患者の寄る辺になってやるべきだとわたしは考えている。依存関係でさえ、治療を流暢にしてくれるとすら思う。
 祈祷セラピーが行う治療の本領は、患者に霊を憑依させて行われる。
 患者に寄ってくる霊は、患者にシンパシーを感じていることが実験で示されている。しかも、霊は患者の弱い部分に付け込んで憑依をしようと寄ってくる。つまり、患者に霊を憑依させることによって、患者の弱い部分をケアしていけるのだ。
 玉ねぎは既に刻んであるものを買ってきた。次は鶏もも肉を四角く切っていく。
 施設でのケアは、祈祷セラピストの生活と密接にリンクしている。主に金銭面だ。祈祷セラピストには、週にいちど、給料が支給される。給料としてみれば高額だが、その給料を切り崩して、こうやって患者と一緒に暮らすことを強いられる。つまり、節約した分が実質、給料となるのだ。だからザッハには、チキンのカレーで許してもらうことにして、買い出しを済ませておいた。ザッハをひとりにして買い出しだなんて、そんな呑気なことはしたくなかった。患者がひとりになった途端、ここはただの病室に成り下がる。
 煮立った鍋にカレーのルウを溶かしていると、ザッハが起き上がり、ふらふらとこちらへ歩いてくる。
「フミちゃん、ごはんはカレー?」
「うん。もうできるよ」
「食べていいの? おなかすいた」
「じゃあ食べようか。テーブルに居ていいよ」
「ん、や」
 ザッハは何事か言いよどんだ。けれどすぐに、「わかった」とテーブルにつく。テーブルへの足取りはひどく重たそうだった。
 皿にご飯をよそい、カレーをかけて二人前持っていく。カレーは持ち運びが楽でいい。
「いただきます」
「いただきまーす!」
 ザッハが嬉しそうにスプーンをカレーに差し込んだ。とても洗練された手つきだった。厳しく訓練でもされなければ、人はこんなにフォームを整えてカレーを食べないだろう。
「フミちゃんさあ」
 ザッハがカレーにふうふうと息を吹きかけながら話す。
「この仕事、大変じゃないの?」
「どうしたの、急に」
「いや、わたしが大変だから」
 急に大して仲もよくない者同士、暮らすのだ。弱っている患者が大変でないわけがない。しかしながら、それをこうやって率直に伝えてくれるのはやりやすい。
「フミちゃんに家事とか治療とか任せて、わたしはただ寝て過ごすんでしょ? それってフェアじゃないよ」
「フェアだよ」
「なんで」
「ノロウイルスに罹ってるひとに、ウォーキング1時間やれなんて言わないでしょう。おんなじことだよ」
「わたし、ノロ並みに迷惑?」
「うーん、骨折でもいいよ」
「がばがばだね」
 ザッハは少し笑った。
「でもやっぱり迷惑はかけるんだよね、骨折だろうとノロだろうとさ」
「そうなるかもねえ」
「お皿とかもわたしが洗ったりしたらだめなんでしょ?」
「よく知ってるね、わたしは気にしないけれど」
「うん、でも怒られるのはフミちゃんだもん。そこは気にしなきゃだめだよ」
「そっかあ」
「そっかじゃないよ、わたしはこの部屋で何をしたらいいの? 猿のようにオナニーしてるしかないの? わたしオナニー嫌いなんだよね、でも性欲は溜まるし」
 ザッハにとって、今の生活が既に相当な苦痛だということが伝わってくる。
「ねえフミちゃん、食べ終わったらすぐにでも『憑依』っていうのをやってよ。わたし、退屈でおかしくなりそう」
「わかった、食べたらね」
「うん」
 ザッハはそれ以降、もくもくと食べた。わたしも特に話さなかった。憑依のさせ方を考えながら、自作のチキンカレーの安っぽさに舌鼓を打ち、ザッハを目の端で観察していた。
「ねえ、フミちゃんが男だったらよかったのに。そうしたら、ただれた夢の生活が送れていたのに」
「そしたら冷静に治療できないでしょう、ザッハちゃん可愛いんだし」
「フミちゃんが男だったら、そうは思わないと思うよ」
「あ!」
 わたしは敢えてザッハの注意を引いた。もうザッハはまともに物事を考えられていない。会話を打ち切り、憑依を行うことにしたのだ。ザッハは、なんだろうと、震える瞳孔でこちらを見ている。
「ザッハちゃん、憑依させるよ」
「えっ待って、カレーがあとひとくち」
「今いらっしゃってるから、まさにここにいらっしゃってるから」
「むむー」
 ザッハはカレーの残りを口に詰め込む。わたしはスプーンを置いて席を立ち、部屋の真ん中、布団の横に立つ。
「ご馳走様、フミちゃん」
「うん、ありがとう、ザッハちゃん、さあ、正座をして両手を合わせて、目を閉じて3回お辞儀をして」
「は、はい」
 ザッハが言われた通りにする。
 わたしは2秒間、正座で俯いているザッハを見下ろした。先程の注意の引き方は無理矢理ではあったが、第六感が告げていた。ザッハは今、弱っている。それを望んでいるものが、この部屋にいる。
 更に何秒か、しばらくは沈黙が場を占めた。しびれを切らしたのはわたしだった。
「名前を教えて」
 わたしの言葉に、ザッハの体はゆっくりと弛緩していく。憑依は成功したようだ。
 わたしは注意を払いながら、膝を折ってザッハと向かい合い、正座をした。なんとなく、今回の憑依は、乱暴なものは憑いてこなかったように感じたのだ。
「ユキだよ」
 ザッハの口がそう動いた。そのユキは目を開け、わたしを見て、ニイと笑った。
「あなたは、ユキちゃんっていうのね」
「そう。ユキっていうの。ねえ、おなかがすいたよ。いっぱいお肉が食べたいよ」
「カレーじゃ足りなかった?」
「わたしはカレーを食べていないもの。体がカレーを食べても、わたしはずっとおなかがすいたまんまなの」
「どういうものが食べたい?」
「あったかいものがいいなあ。お肉だともっといいな。あったかいお肉だととってもいいな。ああ、おなかがすいたなあ」
 ユキは部屋を見まわした。左手の指を口元に持って行き、物欲しそうに目線をさまよわせる。
「いつからごはんを食べていないの?」
「あの日、親がわたしを異常者だって言ったとき、とってもおなかがすいていたんだよ。でも、もっと前、知らない男の人に馬鹿にされたときも、おなかがすいていた。女の友達がわたしを馬鹿にしたときも。わたしはずっとおなかがすいているよ」
「馬鹿にするって、どうやって?」
「それは人それぞれだよ。馬鹿にする人は、わたしをけなす時だけは一生懸命なんだ。引くわ、って言ったり、エッチしてきたり、上からものを言ったり、みんな色んな方法でわたしを馬鹿にする」
 ユキが座ったまま動こうとしないのが幸いだった。もっとユキが行動的だったら、いよいよ大変だったかもしれない。
 このユキという女性は、おそらくはザッハの経験を踏まえて話をしている。先程、カレーを作っているとき、ザッハがひとこと「手伝おうか」と言えなかった理由は、おそらくセラピーのルールの件は表向きで、本当は『何ひとつ任せてもらえない』という状況を、馬鹿にされた、ととらえたのではないか。食べながらザッハが気にしていた、迷惑が云々という話も、おそらくは、ストレス下で限界に達した気持ちが、本音を出してくれた瞬間なのだろうと思う。『迷惑だ』という言葉は、相手を軽んじ馬鹿にしているときにしか出てこない。
「でも、ユキちゃんは食べてもおなかがいっぱいにならないんでしょう、どうすればおなかがいっぱいになるかな」
「ええーっ」
 ユキが視線をうろうろさせながら考える。
「……それはザッハが決めることだよ。でもわたしがいるうちはザッハは出てこないし」
「そうなのね」
「うん、そうなの」
「どうしたらいいかな」
 再度尋ねる。ユキにあまり負荷をかけるのはよくない気がした。早くユキに出て行ってもらって、ゆっくりザッハに休ませてやりたい。
「わかんないよ、わたしがザッハから出ていかないとおなかはいっぱいにならない」
「そうなんだね」
「うん」
 わたしは少しひらめいた。策がある。
「じゃあ、追い出してあげようか」
「えっ!」
 ユキは正座のまま飛び上がるように驚いた。そしてまくしたてる。
「わたし、ザッハをよく知ってるよ、ザッハがわたしを頼ってることもよく知ってるよ、あなたがわたしを追い出せるわけがないよ、ザッハをよく知りもしないのに」
「でも、わたしは専門のセラピストだよ」
「ええーっ」
 ユキが右手で腹部を押さえた。空腹がひどいのだろうか。
「じゃあ、約束して」
「なにを?」
「わたしが出て行っても、ザッハのそばから離れないで。同じ布団で朝まで寝て。帰らないで」
「わたしはここで暮らすんだよ。帰る場所はここだよ。そういうことなら、同じ布団で、隣で寝るよ」
「……わかった」
 ユキが目を閉じる。両手を膝の上に戻した。無防備になったユキに、わたしは大きな音を立てて、顔の前でパンと手をたたいた。
 目をぱちくりさせたのは、ザッハだった。
「フミちゃん……?」
「起こしちゃったかな」
「眠うい」
「もういっかい寝よう、隣にいるからね」
「うん」
 夢うつつのザッハを横にならせ、わたしも同じ布団に入る。布団は湯たんぽでも入っているように温かかった。
 ザッハの寝息を聴いている間に、わたしも眠ってしまったらしい。初仕事を終え、気が緩んだのかもしれない。
「フミちゃん」
 祈祷セラピーを終えた朝いちばんは、不機嫌そうなザッハの声だった。
「……ああ、おはよう、ザッハちゃん」
「なんで同じ布団にいるの」
 ユキの話は出してはならない気がした。
「フミちゃんがそんな無遠慮なひとだと思わなかった。わたし、セックスでもないのに他人に近くに寄られるのが大嫌いなの」
「ごめん」
「しばらく放っておいて」
「わかった。部屋からは出ないからいつでも呼んで」
「うん。早く離れて」
「うん」
 ザッハに布団を追い出され、わたしは食器を片付けることにした。昨晩の米のでんぷんが皿にくっついてしまっている。はがすのに苦労するかもしれない。
 しばらく食器をスポンジでこすっていた。ザッハが泣いている音がしていた。ものすごく不安だったけれど、下手に声をかけたらいけない気がした。もうザッハに頼ってもらえないかもしれない、と、思考が止まりそうになる。けれど、それはこの仕事をするうえで、邪魔な思考なのだ。
 患者のネガティヴに引きずられてはならない。常に毅然と、治療と患者の人生のために、考えを巡らせなければならない。それは、ザッハだけでなく、憑依してきたユキに対しても、守らなければならない暗黙の約束だ。むしろそれさえ守れば、大抵なんとかなる。そう信じるしかないのだ。それが、ザッハとユキの『憑依』を見たことの責任だ。
 皿のでんぷんを落とし切り、何をしようかと部屋を見回すと、ザッハがこちらを向いていた。機嫌の悪さは治ったようだった。むしろ上機嫌な様子で、わたしを呼ぶ。
「フミちゃん、フミちゃんと一緒なら外出してもいいんだよね?」
 わたしがザッハの言うとおりに、声をかけずにただ傍にいたことが功を奏したように思えた。時間をおいて冷静になったザッハも、わたしがザッハを軽んじる人間でないことをわかってくれたようにも感じた。
「どこか行きたいところがあるの?」
「わたしね、スーパーマーケットに行きたいな。変なおねだりとかしないし、勝手にかごにものも入れないし、通りすがりの男のひとをひっかけたりもしないから、一緒に行きたいな。一緒に行こうよ。お願い」



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