モルモット式xxx(CASE.XACH)

憑依式ヴァンパイア




 ザッハが楽しそうに化粧をしている。病棟にいた頃から化粧品は持って歩いていたらしいのだけれど、買い足しに行けないため温存していたのだと言っていた。
「フミちゃんと初めてのデートなんだから可愛くしないとね」
 そんなことを言いながら二重の幅を糊で広げていく。つけまつげをまつげの1ミリメートル上につけて、アイラインで隙間を埋めた。涙袋も書き足して、目の大きさが2倍ほどになったかのようだ。
 わたしはあまり化粧を濃くするほうではないので、ファンデーションとチーク、薄いアイシャドウで済ませた。ザッハからしたらもっと飾れ盛れ化けろと思うだろうか、それともわたしはわたしのままでいいと言ってくれるだろうか。
「よしっ、できたよ、フミちゃん」
 出来あがったザッハは、元気な18歳のギャルだった。少しうらやましく思えるほどに活き活きとしていた。オフショルダーで露出した肩に、やけに派手な紺色のレースが踊っている。ブラジャーの紐だろう。フリルのあしらわれている、ひらひらとしたミニスカートの下は少し光る肌色のストッキングだが、ザッハが履いてきた靴はスニーカーだ。ハイヒールがほしいのではなかろうか、機会を見つけて訊いてみて、必要に応じて買いに行ってもいいかもしれない。
 対照的にわたしは、申し訳程度にブロック体の英語が主張するトレーナーと、いたって普通のスキニージーンズだ。当然靴もスニーカーで、アクセサリーもつけない。ザッハを前にすると、もう少し気合の入った服があればよかったなと思う。
「なあにフミちゃん、じろじろ見て。スーパーマーケットに行くのにめかしこむのはそんなにおかしい?」
「そんなことはないよ。可愛いなって思ってみていただけ」
「男のひとみたいなことを言うんだね。ねえスーパーに行こうよ、待ちきれないよ」
「うん、じゃあ行こうか」
 わあい、と喜ぶザッハと部屋を出る。ニューバランスのスニーカーを履いて、家のドアのロックを外した。後ろでザッハはコンバースを履いている。そして一緒に家を出る。
「スーパーってどのあたりにあるの? 結構歩く?」
「すぐだよ、あの信号を折れると見えるよ」
「ふうん。ねえ、そういえばわたし、久しぶりにこんなに楽しくお外にいるよ。お外って楽しいよね。出るまでがものすごく面倒くさいんだけれど、出てしまえば楽しいんだ」
「そうだね」
「ねえフミちゃん、スーパーでは何か買い足すの? わたし、おうどんが食べたいな」
 今日のザッハはよく笑う。こうやっていれば元気な女の子だ。生活できないほどの生きづらさを抱えているだなんて、誰が思うだろう。
「じゃあおうどんにしようか」
「やったー! あのね、わたし昔からフェラには自信があるの。たぶんおうどんをいっぱい食べるからだと思うの。でもフミちゃんに言っても仕方ないかあ」
「どんなうどんが好きなの?」
「うんとね」
 ザッハは考えをまとめるように指先で空に小さな字を描いている。
「今日は鍋焼きうどんかな。天ぷらが乗っかってて、太麺で、なんかアルミの鍋のやつ。お湯入れるだけのやつ。あれ好きなんだよね、あったかくて、味が濃くて、幸せな感じ。似たような感じで、ここだけの話、わたしごっくんって好きなんだあ」
「味が濃いものが好きなんだね」
「うん、基本的に好きなものが暴力的だからね。薄味同士が喧嘩してても面白くないよ、可哀想になっちゃう。濃い味のもの同士がオラオラって口のなかで喧嘩する感じがすごく好き」
「なるほどね」
 喋っているうちに、スーパーマーケットにたどり着いた。かごを片手で攫うように持って、鍋焼きうどんを探す。
「フミちゃんは食べたいものはないの?」
「わたしは……」
 あまり気にしたことがなかった。たまにチョコレートとかアイスクリームを食べたくなる時はあるけれど、普段の食事は大抵安いもののルーティンだ。
「なんでもいい、かな」
「えー、もっと食を楽しんで行こうよ。三大欲求だよ。何かないの?」
「ええと、じゃあ……」
 考えるわたしを、楽しそうにザッハが見ている。鍋焼きうどんが見つかり、二人分かごに入れた。
「アイスクリーム、かな」
「いいね! あっつい鍋焼きうどんとアイスクリームかあ、ロマンだよね。文明を余すところなく楽しんでるね。じゃあアイスクリームを買おうよ。わたしストロベリー!」
 ザッハに肯定してもらえたことが、なんだかとても嬉しかった。ザッハは患者であるが、それ以上にひとりの尊厳ある人間だ。わたしはちょっとザッハに憧れているのかもしれなかった。
「わたしは抹茶で」
「渋いね」
「好きなの」
「大人ぁ」
 今日日、レジはセルフだ。顧客と店が互いに、不正を働かないと信頼を置くこのシステムは、わたしは嫌いではない。
 ピッピッと品物をスキャンしては袋に入れる。それを後ろで見ていたザッハは、少し寂しそうに言った。自立した生活って、いいなあ。
「ザッハちゃんもそのうちできるよ」
「あのね、自分ではやりたくないの。やってるひとを見るのが好きなの。でもいいなあって思うの」
「やってみる?」
「え?」
 幸い、レジの周りは混んでいない。
「うどんを持って、ここにピッてして、袋に入れるの」
「やっていいの?」
「やってみたくない?」
 ザッハは目を泳がせて考えた。そして、決意を固めた顔で言った。やってみたい。
 ザッハは震えそうなほど緊張した手でうどんを持って、レジにかざす、オートマティックにピッと音がして、金額が表示される。
「わあ……」
 ザッハが心底嬉しそうに笑ってくれた。わたしも嬉しくなった。お財布を出して、お金を入れる。レシートと機械音声のお礼の言葉が出てくる。わたしはうどんを、ザッハはアイスクリームを持ってスーパーマーケットを出た。
 そこですぐ横でべちゃっと音がした。電信柱の上からカラスが糞を落としたのだ。
「てめえ!」
 ザッハが拳を振り回して怒る。カラスは脱糞したあとの心地よさそうな、ふてぶてしい顔でこちらを見た。
「ザッハちゃん」
「あはは、大丈夫、本気で怒ってるわけじゃないよ。知ってる? カラスにはあいさつしたほうがいいんだよ。カラスだってこんな街中で大スカかましてるんだから見てもらえたほうが幸せでしょ」
「スカトロ、好きなの?」
「実はちょっと苦手。でも今、トイレには行きたいかも」
 久しぶりにお外に出たらすごく濡れちゃった。ザッハは小さな声でわたしに言った。
 家まで速足で帰った。特に会話はなかったが、居心地はさほど悪くなかった。ザッハはそれどころではない様子だった。家に着くと、ザッハはアイスクリームをわたしに寄越し、一目散にトイレに入っていった。下着の替えはあるだろうか。
 勝手にザッハの荷物をあさるわけにもいかないので、とりあえずアイスクリームを冷凍庫に入れた。ザッハの下着について考えていると、幸いザッハは自分から下着を脱いでトイレから出てきてくれた。
「洗濯機に入れていい?」
「入れておいて。あとで洗うよ」
「うん」
 よかった。ザッハは自分で荷物から下着を出して、わたしに背を向けて履いた。
「まずごはんにする?」
「ううん、フミちゃん、また『憑依』をしてほしい。『憑依』は疲れるけれど、なんだか楽になる。いま性欲がすごくて、おさめるために『憑依』をしてほしい」
「わかった」
 ザッハは自分から正座をし、両手を合わせて3度、ぺこぺこぺことお辞儀をした。
 しばらく、とても静かな時間があった。
「……ユキちゃん」
 呼びかけてみるが、確かな反応はなかった。だが、反応がないということは『憑依』自体は成功している。
「ユキちゃん」
「眠いのぉ」
 少し苛立った風にユキは言った。
「眠いのね」
「まだ昼間じゃない」
「そうだね」
 ユキは合わせていた両手をほどいて両目をこすってこちらを見た。
「おいしそう」
「おいしそう?」
「ちょっと近くに来てよ」
 前回と同じように、歩み寄って正座をする。するとユキはわたしに覆いかぶさってきた。
「おいしそう」
 ユキはわたしの首にかみついた。それは気のせいだった。かみつかれたような痛みはあったが、それはユキが強くわたしの首を吸っているせいだった。唇の柔らかい感触と鈍い痛みが続く。しかし突破をする必要はなかった。ユキは次第に、わたしの上で溶けるように眠りに落ちていった。
 心臓が早鐘を打っている。この仕事の危険を体験した。きっとこの危険はまだまだ一部分で、もっと危険なこともあるのだろう。今だって、ユキがその気になれば、わたしはひとたまりもなく絶命していただろう。それでもわたしは、もうザッハ、およびユキを捨ておくことなどできない。
 それに、ほんの少しの違和感があった。『憑依』したのはユキではなかったかもしれない。それでも彼女はユキという名で『憑依』した。
 『ユキ』とは何者だろうか。
 考えていると、ザッハが身じろぎした。目が覚めたようだ。『憑依』される者は慣れてくると、次第に消耗が少なくなっていく傾向にある。
「フミちゃん……?」
「ああ、ごめんね、ちょっと転んで」
「わたし、転んじゃったんだ。『憑依』して転んだんだね」
 ザッハの解釈に任せることにして、体を起こした。するとザッハが短い悲鳴を上げる。
「フミちゃん、怪我してるよ! 首!」
「首? ああ、大丈夫……」
「大丈夫じゃないよ、あざだよね? でもキスマークみたいになってるよ!」
 ザッハが慌てる。わたしはザッハの下から這い出て、姿見で首を見る。確かに、赤い痕があった。
「あーあ、キスマークかあ。わたしだってフミちゃんにつけたいよ。ねえ、フミちゃん、1個も2個も一緒だよ、わたしにはキスマークつけさせてよ」
「……だめ」
「なんでよ」
 ザッハが冗談めかして言ってくれているのが救いだった。
 わたしはまだザッハと寝たくない。
 そう思うのは、このザッハを前にして、あまりに潔癖だろうか。




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