モルモット式xxx(CASE.XENON)

序章




「ここだけの話、いい体してるでしょ、彼女」
「やめてくださいよ、先輩」
 このアミという先輩は、喫煙室で俺に会うなり、そんなことを言ってきた。これがエリート街道まっしぐらの祈祷セラピストの言葉かと思うと、仰天してしまう。しかしながら、先輩が昨年功績をあげたことで、俺や同期のメグやフミも就職できたのだ、恩義は感じているし、そもそもこの男は食えないやつなのだ。専門学校に居たころからそうだった。成績が良くて見目もそこそこ、そして卒業後は病院で天才的な技術を振るっている、女癖も悪くなく、ひどく金を浪費する趣味もない、なのに結婚できないのは、きっとそのせいだ。
 人間、何もかもを見透かしたような輩とは、あまり密接になりたくないものなのだ。こうやってたまに話す先輩後輩関係ならば、頼れる味方ではあるのが、俺はこの男に、たとえ「養ってやる」と言われてでも、結婚したくはない。ずっとそばにいると、無力感でむなしくなりそうなのだ。
「彼女、拒食症にならなくてよかったね。どうも親が厳しいひとで、医療系らしい。なにかにつけ、それは何々病だとか、あれは何々症だとか、言い含めたみたいでね。それでリストカットもオーバードーズも許されなかった彼女が行きついたのが、筋肉だったんだね」
「その割にはゴリマッチョってわけでもないですよね」
「ほら、やっぱりいい体でしょう」
「やめてくださいってば」
 先輩が笑うたびに、アメリカンスピリット3ミリの煙が揺れる。
「だって、きみが彼女に肩入れする理由なんて、体のほかにどこにあるのさ。専門学校の試験のスコアを五本指に入る優秀さで叩き出しておいて、ただの就労不能、しかも原因が強迫観念だってわかりきってる患者を受け持とうとするなんて。確かにセラピーの間に患者とそういった接触をするセラピストもいるらしいけれど、そいつが有能かどうか考えると僕は否定的に思ってしまうよ。言ってしまえばセラピーがへたくそだと思う」
「なんて言い方をするんですか」
 あまりの言い草に脱力してしまう。
「悪いけれど、早く治せる患者を選り好みしてセラピーしても僕みたいにはなれないよ。僕はそのあたり、まんべんなくケアをしたからこそのエリート認定なんだからね。自分で言うことじゃないけれども」
「事実ですよ」
「あらありがとう」
 先輩はへらへらと笑って煙草をくわえて、ちょっと妙な発音になりながらも続ける。
「でも本当に、ただの強迫観念からくる就労不能だよ? きみっていう期待の星がわざわざ治療するほどの人材ではないよ」
 そんな言い方、と言いかけるが、先輩は「それでも」と遮った。
「それでも治したいってきみが言うなら、彼女は幸せな人生を始められるのかもね。誰の役に立つかもわからない、誰を救うかもわからない、誰を傷つけるかもわからない人生を」
 先輩はふうと煙を斜め上に吐き出した。
「あときみとは、相性がいいかもね、きみ、ちょっと痩せたほうがいいよ」
「うっ」
 痛いところを突かれた。俺は決して細くはない。ほんの少し、太っている。
「ほら脂肪肝が痛む」
「……脂肪肝ってほど太ってません」
「でもちょっとびっくりしたでしょ」
「まあ……」
「一緒にジョギングとかしてあげればいいじゃない。きみの体は不思議なんだね、持久走のタイムもいいし、バドミントンだって上手だし、運動だって嫌っているわけじゃないのに太っているんだね、いや、ちょっとぽっちゃりしているんだね、よく動くぽっちゃりだ」
「もういっそよく動くデブでいいですよ」
「いやいやぁ、きみはデブってほどじゃないさ」
「正直そうです、だから脂肪肝でもないです」
「おや根に持っていたか、すまないすまない、でもBMIだと正常値なんだろう?」
「上、ギリですね」
「コレステロールは?」
「上、ギリです」
「昨今の若者が痩せすぎの傾向にあるのかもね」
「いや、もう、俺のデブの話はいいですから」
「そうだね」
 先輩はふっと真面目な顔になった。
「それで、きみはどうして彼女がいいんだい? 早く治りそうだからって受け持ったって、言わせてもらうと、それは痛い目を見るよ」
「別にそんな横着しようなんて思ってませんよ」
「じゃあ、なんで彼女なんだい」
「第六感です」
 先輩は煙をげほげほと咳き込んで撒き散らした。
「本気で言ってる?」
「本気です」
「僕は祈祷セラピストだよ?」
「俺だって祈祷セラピストです」
「第六感、賭けちゃう? 商売道具だよ?」
「賭けませんが確かに第六感です」
 先輩はわっはっはと笑った。
「トートロジーだよ」
「すみません」
「でも、そればかりは僕にも意見のしようがない部分だからなあ。うまいこと持って行ったね」
「いえ」
「そうかあ、第六感で彼女がいいんだ、ふうん、そう……」
 先輩は深く煙草を吸いこんだ。何か考えがあるらしく、働く脳と比例して目が小刻みに動く。
「……うん! 僕がきみに意見するのはやめよう、第六感ならば仕方がない、ただ、ひとつ、第六感に呑み込まれていけないよ、患者の五感を正常にさせることが治療の第一歩だったりするからね、あと第六感だけを信じると、きみの五感すらも、やつらは吞み込んでいくよ、知らないうちに、溶けるように、人じゃないものにさせていく」
「覚えておきます」
「うん、それなら、お医者の先生方にはうまいこと伝えておくよ。ああ、治療施設に入所する前に、彼女にあいさつしておくといい。いきなり赤の他人と知らない施設で、共同生活にも似た治療をするのは、お互いやりにくいからね。あいさつひとつで変わるものだよ」
「ありがとうございます、行ってきます」
「うまくやりなよ」
 喫煙室を出て行った先輩に、はい、と返事をして、俺は彼女、セノンの病室へ向かうことにした。
 病室を軽く覗く。セノンはベッドの上でストレッチをしていた。
 ノックをすると、きびきびとした声で「どうぞ」と返事があった。
「こんにちは、セノンちゃん」
「こんにちは」
 俺が声をかけると、セノンはストレッチをやめ、ベッドに脚をそろえて座りなおした。病室に入る。セノンと目が合う。こうやっていると何も変なところはない、魅力的な女性なのだ。ただ、何かのきっかけで、おかしくなってしまう。それでも、普段は普通の人間だ。彼女からは、丁寧な物腰で、いつもきびきびとしている、長い前髪を斜めに流したショートヘアの、仕事のできるビジネスウーマンといった印象を受ける。
「セノンちゃんの担当になった、ナオっていいます。よろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
「もっと気さくでいいよ、ナオくんでいいし、口調だって気にしないで」
「わかった、ナオくん」
「セノンちゃんはなんでここに来たの?」
「それは……」
 セノンは言葉を選んだ。
「親の意向」
「なんだってまた! じゃあじゃあ、セノンちゃんがここに居てもいいかなって思えたのは、なんで?」
「……わたしが、異常だから」
「どこが?」
「わたし、休めないの」
 セノンは目を下にそらした。
「休んでる自分が許せない。休んでる他人も許せない。でもそれは病的だから。だから治療しようと思って、ここにいるの」
「そうなんだね」
 ふんふんと話を聞く。ふっと思いついて、訊いてみる。
「じゃあ、だらしない体型をしている俺を見るのも、嫌だったりする?」
「ナオくんは、まだだらしなくないよ」
「まだ、か……」
 あからさまに落ち込んでみせると、セノンは「全然! 全然!」と慌てる。
「冗談だよ、でも、実際、ちょっとだらしないでしょう?」
「平均的だよ。わたしは、太ってるのはよくないとは思うけれど、痩せすぎがいいとも思わない」
「ありがてえ」
「ナオくん、素」
 会話の合間に笑いがあった。
「でもナオくん、本当にそんなに気にすることないよ。わたし、わかるんだ、不健康なひと」
「そうなの?」
「アミ先生っているでしょ」
「うん」
「あのひと絶対煙草吸ってる。ナオくんは絶対吸ってない」
「よくわかるね」
「わかっちゃうんだ」
 ひとを観察することにすらも、手を抜けないのだろう。もっと適当にひとと関わればいいいのに、おそらくは、気になったことをずっと考えてしまうたちなのだ。
「わたし、ナオくんに治療してもらうの?」
「そうだよ」
「ピルを飲んでるから生理は来ない。洋服は着られればいい。お化粧道具もなかったら我慢する。よろしくね」
「よろしく。そんなに我慢することないよ、やりたいことがあったら教えてね」
「じゃあお化粧はしたい」
「わかった、いま使っているお道具がなくなったり、新しい製品が出たりしたら、一緒に買いに行こう」
「ナオくんは、自由で優しいね」
「へっ?」
 「変な声!」とセノンがけらけらと笑う。俺もげらげらともらい笑いをした。
「えっ、そんなに俺、いいひと?」
 笑いで息も絶え絶えに尋ねると、セノンも息を切らしながら、「だって」と言った。
「本当だもの。そんなに気をつかってもらえると思ってなかった。もっと馬車馬のように作業所とかで働かされるんだと思っていたんだもの」
「休むための治療だからね」
「そうだったね」
 笑いが収まるころ、セノンがぽつりと言った。
「休んでる暇なんてないのにね」



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