モルモット式xxx(CASE.XIRE)

憑依式ウンディーネ




 施設までの数分、ザイアは下ばかり向いていた。僕も特に声はかけなかった。施設に入所して鍵をかけ、ザイアが「寒い」と言うまで、会話はなかった。
「確かに寒いね。お風呂入る?」
「入る」
「今お湯を張るから、少しだけ待ってね」
 荷ほどきもそこそこに、ザイアは浴室を探した。扉という扉を開けていく。とはいっても、それほどたくさん扉があるわけではない。20歩あればめぐりきってしまう、狭い施設だ。僕も追いかける。この施設は、患者が怪我をしないように、いたるところにロックがかかっている。風呂場の湯も同じだ。ロックを解除し、湯を出してやる。ザイアは構わず服を脱ぎ始めた。
「まだ寒くない?」
「入りながら考えるわ」
 いったい何を考えるのかわからなかったが、彼なりの考えたいことがあるのだろう。僕はただ相槌をうって、張られた湯もそこそこの湯船に入るザイアを眺めた。意外としっかりした体つきだった。
「……この施設にいる間中、そうやって監視みたいにそばにつかれるのか」
「うん、窮屈かもしれないけれど……」
「監視しててくれ」
 言葉を遮って、ザイアはそう言った。
「俺ね、自分がコントロールできないのも、ひとりでいるのも嫌なんだ。だから監視でいいから、そばにいてほしい」
「わかった」
 あったけえなあ。ザイアはつぶやく。
「昔は風呂って面倒くさくて嫌いだったんだけれど、なんか今日は気持ちいいわ」
「……よかった」
 僕はふっと気付いた。この水場に、何かがいるのではないか。いくらザイアと僕の距離が縮まってきたからといって、ザイアは出会ってすぐの人間にここまでのことを話すだろうか?
「祈祷セラピーってさ」
 ザイアがまだ話している。
「前にやったの、感染式ってやつだったんだけれど、普通は違うんだってな。『憑依』っていうのが主流なんだろ?」
「そうだね」
「どんな感じなんだ? やっぱり自分が自分でなくなるのか?」
 何かがいるかもしれない水場で、そんなに隙を見せてはならない。けれど時はもう遅かった。場が吞まれている。僕は観念して、祓おうとするのをやめた。憑きたいなら憑けばいい。僕が責任をもって処置をする。
「一般的には、何かが乗り移るって言うね」
「勝手に体、動かされたりすんの?」
「体の持ち主が本気で嫌がれば、そこまではできないよ。憑依はどちらかというと、体の持ち主がやりたくてもできないこと、話したくても話せないことを、憑依したものが話してくれるような感じらしい」
「いいやつじゃねえか」
「大抵はいいやつだよ。人間もそいつらも、世の中、鬼ばかりではない」
「ふうん。ちょっと楽しみだな、憑依」
 いま、おそらく何かがザイアに憑いている。しかし、ザイアと余程馬が合うのか、ザイアと喧嘩せずに同居しているようだ。話しているのはザイアだが、影響を及ぼしているものは、確かにザイアから感じられた。
「いま憑いてるっていったら、怖い?」
「怖かねえよ。なに? 憑いてんの?」
「たぶんね」
「たぶんって。プロだろ、しっかりしろよ」
 ザイアが笑う。僕もつられて笑った。
「じゃあ、自分の名前を思い出せる?」
 僕からの揺さぶりだった。ザイアの中のものも、僕が敵意を持っていないことはわかってくれているだろう。それに、そいつが敵意を持っていないことも、僕にはわかっていた。
 僕はザイアの様子をしっかり観察する。ザイアが体を明け渡すならば、ザイアとそいつが互いにうまくいっている今だ。
「こいつの名前、なんだっけなあ、とりあえず俺はスズって言うんだけれど」
「スズくんだね」
 やっぱりだ。既に憑いていた。
「鋭いなあ、おまえ。こいつと俺はすっごく相性よくてさ、自然に一緒に居られたんだよ。それでもわかるもんなんだなあ」
「プロだからね」
「なるほどなあ」
 スズがけらけらと笑う。
「俺はね」
 ちゃぷちゃぷと湯で遊びながら、スズが言う。
「こいつが、エンジェルまがいの感染式憑依のときに、負った傷が見えている。それはもうざっくりといかれてる。相当期待してたんだろ。それに、治ったらあれをしようこれをしようって、楽しみにしてたんだろうな。全部夢で終わって、やるせなくて悔しいんだよ。このまま、何もできないまま一生を終えるんだってことが、情けなくて仕方ないんだ。だから、なんとか治してやってほしい。俺が離れたら、こいつは風呂が嫌いになるけれどな」
 スズが気さくな笑い方をした。
「その感じだと、しばらく憑いているのかい」
「そうだな、安定するころまでは一緒に居たいとは思うよ」
「疲れさせないようにしてね。あんまり疲れさせると、僕はきみを追い出さないといけないから」
「最終的には追い出すんだから、一緒な感じもするけれどな。まあ、善処するよ」
「それで、きみがここにいるメリットは何?」
 少しとげとげしい言い方になってしまい、申し訳なくなる。こんなにも、優しくしてくれているものに、我ながら、こんな言い方はないのではないか。
「俺は、相手を見つけないといけないんだ」
「相手というと?」
「こいつの相手さ」
「……」
 考え込んでいると、スズは言葉を足してくれた。
「こいつが、妬まないで一緒に居られる相手だよ。こいつはやっかみ屋だから、誰かと居ても、そいつを妬ましく思って、一緒にいるのがつらくなるんだ。でも、誰かと一緒に笑っていたいんだよ。俺も、その辺、よくわかるからな、共感すんだよ。こいつがそんな相手を見つけられたら、俺にも見つけられるかなって、自信になるだろ。それが欲しい」
 こんなにもザイアのために考えているようなスズが、欲しい、というときだけは、目の奥にぎらつく思いをのぞかせた。余程欲しいのだろう。どんな手を使ってでも手に入れる、と、言っているようだった。
「わかったよ、僕も一緒に探そう」
「優しいねえ。俺が離れたら、もっと警戒したほうがいいぞ」
「ありがとう。最善は尽くすよ」
「不思議な奴だな、おまえは」
「きみこそ」
 くすくすと笑い声が浴室に響いた。
「そろそろ出ていくか。疲れさせちゃ駄目なんだろ」
「そうだね」
「布団まで連れて行ってやりたいのはやまやまなんだが、俺は水場のものなんでね。なんとか担いでいってくれよ」
「わかった。お疲れ様」
「……俺はそんなに褒められたことをしてるわけじゃねえよ」
 小さな声でぼやくように言うと、スズは目を閉じた。僕はザイアの体を支える。湯に浸かっていたためか、よく温まっていた。
 とりあえず体を拭いてやり、簡単なパジャマを着せた。よっこいしょ、と肩を組み、居間まで引きずっていく。布団を敷くために壁にもたれさせる。そして用意を終えて戻ると、ザイアは薄く目を開けて何もない空間を眺めていた。
「メグ……」
「お疲れ様、ザイア。憑依、終わったよ」
「なんか疲れた」
「いったん寝ようか」
「ああ」
 ザイアは体を引きずるように、四つん這いで布団まで移動し、深くくるまった。すぐに穏やかな寝息が聞こえてくる。
 ザイアが起きたら昼食にしよう。今日はピザトーストとベーコンエッグだ。



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