モルモット式xxx(CASE.XIRE)

憑依式リヴァイアサン




 僕がピザトーストとベーコンエッグを作って食卓に持っていくと、ザイアは唖然とした。ふたり用の小さなテーブルを占める皿たちを、おかしいものを見るように凝視している。何か変だろうか。ピザソースとシュレッドチーズを乗せて焼いた8枚切りトーストと、15センチメートルほどのベーコンの上に半熟にグリルした玉子が乗っている料理が、別々の皿に乗っている。何かおかしいだろうか。
「あのさ」
「うん」
 ザイアはひどく切り出しにくそうに何かを言いかけた。
「いや、いいや、食べよう」
「うん……」
「美味そうだな」
 気を取り直すようにザイアが頷きながら言う。そして「いただきます」とピザトーストをかじった。
「どうしたのさ」
 僕はどうしても気になって訊いてみた。そしてベーコンをフォークでぐるぐる巻いて一気に口に入れる。食べ慣れた脂肪の味がした。
「ああ、いや」
「なにさ」
 ちょっと笑いながら雰囲気を崩すと、ザイアも笑いながら、話し始めてくれた。
「いや、俺の食事作るの、面倒だったかなと思って」
「ああ……」
 なるほど、この料理の素人を見抜いてしまって、絶句していたのだ。自分の生殺与奪を握る人間が、こんなにもざっくりした料理しか作らないのは、確かに絶句もやむを得ない。それに、ザイアはきっと食事が好きだ。初めて会ったときにも、お菓子を食べたがっていた。
「僕は料理が得意じゃなくて」
「なあ」
 笑いながらザイアが軽く責めてくる。
「ピザトーストもベーコンエッグも美味いしメニュー自体も嫌いじゃねえよ。でもさ、ちょっと食い終わったら俺をスーパーマーケットに連れて行けよ。今日日、簡単にいろいろ作れっから。一緒に暮らす間、ずっとピザ食うのはさすがに飽きるよ。メグはずっとピザ食って生きてたのか?」
「ううん」
 ザイアが上手に半熟卵の黄身の縁をフォークで掬い取り、一気に口に吸いこんだ。
「ピザトーストは豪華なほう」
「まじかよ人生がっぽり損してるぞ」
 ピザトーストとベーコンエッグはお互いあっという間に平らげてしまった。
「ごちそうさま」
 つぶやいたザイアはもう少し食べたそうにしている。きっと食を楽しみたいタイプなのだろう。
「スーパー! 行くぞ」
「うん」
 僕が席を立とうとする。
「ああいや待て」
 ザイアがこれまた言い出しにくそうに僕を呼び止めた。
「卵の皿は水につけろ。あと食べる前は『いただきます』だし、食べ終わったら『ごちそうさま』だ。なんだこれは、俺はそんなにおかしい食のマナーの文化で育ったのか? 小学校の頃のしつけを守るのは変なことか? なあメグ」
「全然変じゃないよ。僕がだらしないだけ」
「しっかりしてくれよ、俺、食事が楽しくない生活は嫌だよ」
「がんばる」
「ああ、がんばってくれよ」
 ザイアの言う通り、ベーコンエッグの皿を水につけた。ザイアは後ろでダッフルコートを着ている。僕も急いでダウンを着込んだ。ナイキのスニーカーを履いているザイアに追いつく。ドアを開けてやると、ザイアが扉を持って待っていてくれる。
「大丈夫か」
「うん、行こう」
 スーパーマーケットまでどれくらい、とザイアが辺りを見回す。
「角を折れてすぐだよ」
「あ」
 ザイアは足をとめた。
「どうしたの」
 ザイアの目線の先で、街路樹が剪定されている。枝にロープを巻かれ、作業員がチェーンソーで切断する。絶命した枝はトラックの上に寝かされる。
「ちょっと見てていい?」
「うん」
 しばらく樹の剪定を眺めた。樹が段階を追って絶命していく。僕は何もそこから感じることはないけれど、ザイアは何か思うところがあるのだろうか。映画のイントロを見るように一心不乱で樹の最期を見続けるザイアは、何かそれ以上のものを見ているようだった。ザイアが「メグ、ありがとう」と歩みを進め、バラバラにされた樹を見届ける頃には、日が傾き始めていた。
「ところでザイア、スーパーマーケットで何を買うの」
「まあ任せろって。中華は簡単だからな、教えてやるよ」
「よかった、ありがとう」
 スーパーマーケットでの買い物は呆気なかった。初めて入る店だろうに、ザイアが頭上の標識を見ながら手際よく、豚肉入りのチンジャオロースーの素とピーマンを籠に入れた。不思議なことに、こんなにも僕よりも生活力のある彼は、僕よりもなぜか格段に生きづらい。
 オートマティックのレジで支払いを済ませ、機械音声のお礼を聞きながら店を出た。
 帰り道、また例の街路樹の切り株の横を通った。ザイアは一瞥しただけだった。
 家に着くころには辺りが暗くなってきてしまっていた。ザイアは僕に料理を教えるのだと意気込んでいる。祈祷セラピーの契約の関係で、ザイアは包丁は握れない。僕に口頭で指示をくれるらしい。
 僕は中華料理なんて作ろうとすら思ったことがないので、どうやったらいいものかまったくわからない。大体中華鍋もない。その旨を伝えるが、ザイアは全部「大丈夫だから」と笑う。
「フライパンならあるだろ?」
「さっきベーコンエッグを焼いたやつでいい?」
「……洗えばな」
「わかった」
「今まで洗ってなかったのか!?」
「洗ってたよう」
「本当に?」
「洗ってるもの」
「しっかりしてくれよ、本当に」
 フライパンをざっと洗った。ザイアは僕の手元をしきりに覗き込んでいる。心配をかけてしまって申し訳ない思いが僕を席巻した。
 まずは、ピーマンを切るらしい。
「馬鹿野郎、猫の手でやれ」
「猫の手」
「こう、指を丸めてだな、指の側面が包丁の腹に当たるように、あ、そんな持ち方すると怪我するぞ、俺は施設のロックのせいで棚ひとつ開けられないんだからな、救急箱すら開けられねえんだぞ」
「わかったわかった」
「わかってねえ」
「猫の手、こう?」
「そうそうそんな感じ」
 結局、ただピーマンを切って、フライパンで和えて炒めるだけで、チンジャオロースーが出来上がってしまった。
「すごい」
「食おうぜ」
 ザイアはもう照れる気力もないようで、一仕事終えたような顔をしている。昼食も彼には少なかったようだし、早めに食事にするのは正解だろう。
 器に盛って、食卓に持っていく。僕は自分でこんなに豪華な食卓を作ったことはなかった。
「いただきます」
「いただきます」
 箸で肉をつまむと、片栗粉のぷるぷるした感触があった。こんなものがこんなに簡単に作れるなんて、よくできた世の中だ。
「おいしい」
「だろ」
「ザイアくんのおかげだよ」
「俺もこれから治療生活長いんだろうし、これくらいやりがいがあることがあるのは有難いよ」
 おいしいチンジャオロースーだった。まだまだ食べたい、と僕が思って、もう一食作ろうか、と提案すると、ザイア曰く、意外とカロリーがあるらしい。でも僕はまだ食べたかった。おいしかったせいかもしれない。それでもザイアは寒がって、風呂を急かすのだった。
 ザイアに習った通りに、ごちそうさまと呪文を唱えて、風呂を入れてやる。ザイアは所在なさげに皿を眺めていた。規定で、患者は家事の類に極力触ってはならない。
「ごちそうさま。風呂入る」
「うん、いま入れてる」
「皿、洗うか水につけるかしとけよ」
「わかった。お風呂は一緒に行くよ」
「ああ」
 皿の類はザイアが寝付いたら洗おう。とりあえずと水につけ、風呂についていく。ザイアはすっかり慣れた風に服を脱ぎ、湯船に浸かった。
 やっぱりこの家には何かいるのだ。前と違う何かだ。僕は少し頭が冷えていくのを感じていた。少し乱暴なものが、この風呂場には居る。
 縋るような心持ちも相まって、僕は前回と同じ『スズ』を呼ぼうとした。
 けれど、『スズ』を名乗ったそいつは、前回のスズではなかったようだった。膝を曲げ、湯に首まで浸かって、僕を睨んできた。
「スズくん」
「なんだ」
「機嫌悪いね」
「苛ついてんだよ」
「何かあった?」
「脳がなんかおかしいんだろ。理由も対象もなく苛ついてんだ」
「先生に薬出してもらおう」
「手持ちがある。頓服で出てる。でも俺が出ていったらこいつは苛々なんかしねえよ」
「いっそ暴れてみる?」
「いや、いい」
 スズはこの世のすべてに落胆しているような顔をした。けれど、特別僕だけに苛々しているわけではなさそうだった。湯加減と湯船の狭さと同程度に、僕にも苛々しているだけなようだ。
「負けたみたいだろ、暴れたりしたら」
「意外と常識人だね」
「人じゃない」
「ごめん」
「早いところこいつの治療進めてくれよ、こいつが弱い限り、俺はこいつに憑いて回らないといけない。こいつの弱いところが治るまでは、こいつは俺を完全には追い出せない」
「自由になりたい?」
「なりたいね。それで肉体もあったら完璧だけれどな、でも俺はもう体がないから、こいつから追い出されたら水の感触もわからなくなっちまう。それでも今は、こいつも俺も互いに必要同士だ」
「大変だね」
「大変も大変さ」
 スズは深く息を吐いた。疲れ切った溜息のようだった。
「治らなくてもいいから、今だけ楽になれたらいいのにな」
「だんだんなっていくよ」
「もっとこう、すっきりと」
「『憑依』させようか」
「『憑依』してる俺にか? お前は面白いな」
 スズはちょっと苦笑いをした。夢を見せやがって、と言っているかのようだった。ザイアは快方へ向かえば楽になっていく。けれど恐らくは、スズはずっとその暴力的な感情と一緒に暮らしていくのだ。それがスズだからだ。
「スズくん、変わったね」
 前回のスズは、気持ち、穏やかだったように思い、そんなことを言ってみた。前回の気持ちを思い出してくれれば、と思ったのだが、スズはこう返した。
「俺はずっとスズだよ」
 感情の読み取れない声だった。確かに名前で『憑依』してきたこの彼はスズだろう。けれど、そもそも『スズ』とは何者なのだろう?
「悪い。出てくわ。負ける」
 僕が何か言う前に、スズはザイアから出ていったようだった。ザイアの体が弛緩する。首まで湯に浸かっていたせいで、一瞬ザイアが呼吸器を湯で覆われて、息苦しさに咳き込んで一気に覚醒した。げほげほと、何が起きたかわからない表情をしている。
「ごめんごめん」
「なんだよメグ、俺、寝てたか?」
「そうみたい」
 ザイアの想像に任せることにして、僕はタオルを差し出した。十二分に温まったザイアは体を起こし、タオルで体を拭く。
「疲れてんのかな」
「環境が変わったからね」
「怖いから先に寝てるわ。メグもゆっくりあったまってから寝ろよ」
「わかった、ありがとう」
「いえいえ」
 パジャマを着たザイアは一目散に布団に入って、寝る前にスマートフォンでゲームをするようだ。
 僕が湯を終え、居間に戻るころには、ザイアは寝息を立てていた。
 音を立てないように皿を洗い、僕も眠ることにした。
 頭の中で、初めてのスズと今回のスズの印象が、重なりあったり、反発したりしていた。深く印象を探ろうと考えを沈めると、どうも僕は眠たくなってしまったようだった。




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